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自粛?斎行?

投稿日:2011年4月12日(火)


 17日の鎌倉まつり 鶴岡八幡宮での流鏑馬神事は斎行されるとのことです。(その他のイベントは中止のようです)流鏑馬は、国家の安泰と五穀豊穣を祈念して行う神事であり、イベントではありませんので実施することは妥当な判断であると思います。射手の皆さんは、普段以上に『元気』に奉仕されることと思います。 私は残念ながら出張祭をお受け致しましたので参加できませんが、復興祈願の流鏑馬神事が事故無く執り行われますようにご祈念申し上げます。

  お祭り実施の是非についての記事をみつけましたのでご紹介致します。

 佐藤守

震災から早や1か月になろうとしている。甚大な被害をこうむった被災者の方々が、けなげにも耐えている姿に感動する。特に被災地から遠く離れた避難所で、不自由な生活に耐えているご老人が、支援者に対して「ありがとうございます」と頭を下げる姿に、真の日本人を見るようで落涙を禁じえない。ところで、「自粛一辺倒に変化」が出てきたと今朝の産経にあった。「お祭りの中止が続く中、『極端な自粛はすべきでない』という声が広がり始めてきた」というのである。いい事である。「まつり」という言葉は「祀る」から来たのもで、「本来は神を祀ること」「その儀式を指すもの」とされる。従って一般的には次のように解説されている。「個人がそういった儀式に参加することも『まつり』であり、現在でも地鎮祭、祈願祭などの祭がそれにあたる。 日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶ。また、祭祀の際には、神霊に対して供物や行為等、様々なものが奉げられ、儀式が行われる。その規模が大きく、地域を挙げて行われているような行事の全体を指して「祭」と呼ぶこともある。しかし宗教への関心の薄れなどから、祭祀に伴う賑やかな行事の方のみについて「祭」と認識される場合もあり、元から祭祀と関係なく行われる賑やかな催事、イベントについて「祭」と称されることもある」また、「『祭り』は命・魂・霊・御霊を慰めるものである。『祭』は、漢字の本来の意味において葬儀のことであり、古神道の本質の一つでもある」ともされる。つまり「宗教への関心の薄れなどから、祭祀に伴う賑やかな行事の方のみについて『祭』と認識される場合もあり」とあるように、祭り=「神事を忘れた賑やかな行事」と誤解しているのが現代日本人の大半だから、“自粛”ならぬ“萎縮”しているのである。神職についている神主さんたちが、堂々と「祭り」の縁起を説き、賑やかさを控えた行事を遂行するのは、人間として当然の行為であり、神職としての使命だと私は思っている。時は春、近所の川べりの桜も満開に近い。今回の震災で犠牲となった多くの同胞を慰める意味でも『自粛』する必要はない。東北はお酒の産地、被災地の酒屋さんを救済する意味でも、どんどん「ご神酒」をいただくべきだろう。

 

~略~ 

 

東北は祭りの国、励ますにはお祭りが最適であり、元気のもとである。「元気」とは、「気の一つで儒教における生成論で宇宙の根源」である。「生命力が旺盛である様や気分が上向きである等の状態を示す」語である。年に一度の桜の下で、大いに元気を養うべきだろう。被災者を元気づけるためにも、委縮している時ではなかろうと思う。自らの頭で判断して、少なくとも「古来から伝わるお祭り」儀式は絶やしてはならないと思う。それこそ「神の御意志」に反すると私は思う。

泣き相撲は5月8日です


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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