投稿日:2026年1月26日(月)
20年以上の付き合いになる友人と電話をしました。普段あまり連絡をとりませんので、気が付いたら話が弾んで3時間以上。全てが上手くいってそうに思っていた彼は、彼なりに意外と苦労をしていたようで、同時に成功を積み重ねているんだな、としみじみと感じ、ほんの少しだけですが、私が故郷を離れてから現在までを客観的に振り返ることができました。権禰宜の宇多です。
さて、本日は神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和7年11月3日号掲載のコラム【刀剣は語る~その陸拾参~もう一振の鳥頸太刀】をご紹介致します。


もう一振の鳥頸太刀
「金銀が施されたこの上ない優美な拵、これぞ御神宝と感心したのが、金銀装鳥頸太刀。和歌山県立博物館で開催された「熊野速玉大社の神像と古神宝」展で拝見しました(二月二十四日付・三七一八号本欄掲載)。
熊野速玉大社の古神宝類のなかでもひときは目を引く金銀装鳥頸太刀は、柄の頭が瑞鳥の頭部をかたどった金具で飾られてゐることからこの名があります。南北朝時代、足利義満が中心となって奉納の動きがあり、資料類の記述から後圓融上皇の名義で速玉宮に奉納されたと伝はるものです。
じつはこの鳥頸太刀、同型の二振が伝はります。もう一振を拝したいと熊野速玉大社を訪ねました。
「当時の最高の刀装を、おそらく本社の速玉宮と結宮の二つの宮にセットで奉納したのでは」。同大社の上野潤権宮司が神宝を所蔵する熊野神宝館を御案内下さいました。
湿度の高い熊野地方の気候から古神宝を守らうと昭和の時代に建築された神宝館は高床式の建物。急な温度や湿度の変化でダメージを与へないやう、敢へて空調を備へてゐないことに驚きました。
国宝九百八十九点をはじめとする千四百四十四点にのぼる文化財を所有する同大社。なぜこれほどの古神宝が残ったのでせうか。上野権宮司は「奇蹟的なのです」とその理由を教へてくれました。
一つは明治十六年、新宮花火大会の火が社殿の屋根に燃え移るも、巡業中の力士が総出で御神宝を運び出し、守られました。先の大戦では新宮市内が空襲の被害に遭ふも、同大社は戦災を逃れてゐます。そのため、大社に疎開してゐた阿須賀神社や神倉神社の神宝も難を逃れることができたのです。
また戦後の南海震災も乗り越え、昭和二十八年には文化財保護委員会の尽力により国庫補助金下附があり、文化財を保護する名目のもと、そのモデルケース第一号として本殿以下各社殿の修復がおこなはれ、国の施策で修繕がなされたのも保存の一因といひます。けれど残念ながら、刀身はありません。一振は明治時代にすでに紛失してをり、もう一振は戦後、進駐軍の将校によって強制的に持ち去られ、未だ返還がなされてゐません。
博物館ではもっぱら豪華さに目を奪はれた古神宝。こちらでは古神宝の保存の難しさを目の当たりにして、その存在の重みを感じずにはゐられませんでした。
熊野詣は険しい山路を越えて、やっとの思ひで辿り着くことから、たとひ参詣者が雨に草鞋が濡れてゐようと、汚れた格好であらうと、熊野の社寺では誰でも受け入れてきました。「濡れわら沓の入堂」といふさうです。世界遺産となった現代は、国境も問はず。古神宝は、世界の人々をも魅了してゐます。
熊野速玉大社
祭神=熊野速玉大神・熊野夫須美大神
鎮座地=和歌山県新宮市新宮1
☎=0735-22-2533
熊野神宝館
拝観時間=午前9時~午後4時(展示品は時期により異なる)」
















