投稿日:2026年3月7日(土)
大阪まで行き、美容師の妹に髪をカットしてもらい、万博記念公園に行きました。昔から憧れであった「太陽の塔」。いざ前にすると、言語化するのが非常に困難な、とてつもない衝撃を受けました。岡本太郎の作品には、ポップな作風の中にも、根源的な”おそろしさ”、”あやしさ”が顔を覗かせ、魅了されてしまうのです。もちろん「太陽の塔」にも、巨大なスケールと同等にそれを感じました。今月中に休館してしまう川崎市岡本太郎美術館に今すぐ行かねば!権禰宜の宇多です。
さて、本日は神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和8年2月2日号掲載のコラム【刀剣は語る~その陸拾陸~猿投の行安】をご紹介致します。


猿投の行安
「愛知県豊田市・西三河を代表する名峰が猿投山です。標高六百二十九メートルの山は、古くから土地の人々に霊山と崇められてきました。山中には天然記念物の菊石をはじめ、御鞍石、御船石など伝承豊かな岩が点在。この山の西峰に猿投神社西宮、東峰に東宮、そして麓に本宮が鎮まります。
猿投神社本宮をお訪ねした日は雨で、あいにく猿投山は望めませんでしたが、参道の杉並木はしっとりとした風情を漂わせてゐました。樹齢は六百年ほど、室町時代にまでさかのぼるといひます。
その時代の長禄二年(一四五八)、神社へ奉納されたと伝はる最古の大鎧がありました。「樫鳥糸威鎧大袖付」といふ平安時代のもの、なんでも源氏に代々伝はる八領の一つ、「薄金」といふ由緒をもつといひます。後三年の役で功のあった三河武士が源義家より賜った鎧を、のちに衣城主である中条詮秀が奉納したと鎧櫃には記されてゐました。
そして、奉納刀剣も伝はります。なかでも知られてゐるのが、平安時代末期の太刀「銘行安」です。
行安は薩摩国(鹿児島県)の波平派の刀工。波平は鹿児島の古い地名です。平安時代、大和国の刀工・正国が薩摩に移住して興した流派で、幕末まで続いたといひます。嫡流は代々行安を名乗りました。腰反りの高い刀身で、長さは七十九・九センチ、茎には「行安」の二文字の銘が切られてゐます。
「おそらくこれも中条氏が奉納したものでせう」と自鳳尚孝宮司が教えてくれました。中条氏は足利氏ゆかりの武将。中世の西三河地方の情勢をにはかに感じました。
神社には珍しい風習がありました。それは左鎌を奉納するといふもの。境内には、職場安全や交通安全を祈願する会社が奉納した、左鎌の絵馬がびっしりと掲げられてゐます。
これは御祭神の第十二代・景行天皇の第一皇子・大碓命が左利きで、左鎌でこの地域を開拓されたことにちなむさうです。大碓命は小碓命(日本武尊)の双子の兄にあたります。弟に殺害されたと『古事記』には記されますが、社伝によれば、大碓命は猿投山中で蛇毒のために御年四十二歳で亡くなったとありました。現在も猿投山の西宮後方に大碓命御墓所があります。
社務所でお話を伺ってゐると、頻繁に来られる地元の方々。三河国三宮として、地域の氏神として信仰が根付いてゐることが窺へます。神山である猿投山と神社は時代とともに信仰を重ねながら、人々に崇められてゐると感じました。今度は猿投山の姿を見たいと再訪を願ひました。
猿投神社
祭神=大碓命
鎮座地=愛知県豊田市猿投町大城5
☎=0565-45-1917」
















