投稿日:2019年3月9日(土)
今日3月9日は、「記念切手記念日」。明治27(1894)年のこの日、日本初の記念切手が発行されました。明治天皇・皇后両陛下のご成婚25周年を記念して発行され、菊の紋章に雌雄の鶴2羽が描かれたデザインで、紅色で内地用の2銭と青色で外地用の5銭の2種類だったそうです。先日当ブログで天皇陛下御在位30年記念硬貨の事をご紹介しましたが、こうしたことが明治の昔から続いていると思うと感慨深いものがあります…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成31年2月18日号掲載のコラム「杜に想ふ~踊りの祈り~」をご紹介致します。
【杜に想ふ~踊りの祈り~】
「2月1日、「全国民俗芸能『風流』(ふりゅう)保存・振興連合会」が設立され、そこで記念講演をおこなった。
国の重要無形民俗文化財に指定されてゐる風流は、36件。その保存団体の関係者約200人が一堂に会した。担ひ手の減少や高齢化により、保存継承がむつかしくなってゐるところもあり、相互に連携をはかって時代に応じた改善策を講じることが設立の趣旨である。が、一方で「日本の風流」とひとまとめに統一できたところで、ユネスコの無形文化遺産への記載(登録)をはかるねらひもある。
ここでいふ風流は、念仏踊・小唄・獅子踊・奴踊・盆踊などを含んでの「踊」である。事典の類では、「群舞」と説いてあるが、「舞」はふさはしくない。舞は、神楽とか能とか延年に用ゐるべきで、おもに室内や舞台で演じるもの。それに対して、踊は、所作が大ぶりで、おもに屋外(地)で演じるものである。
もっとも、風流のなかにも鬼剣舞(岩手県)や綾子舞(新潟県)など舞を名のってきた事例もある。歴史を経ての多用な展開がみられる。が、踊と舞を大別することで民俗芸能の位置づけができようといふもの。民俗学でいふ形態分類は、たとえるならば枝葉の色分けであって、幹とか根を解明するものではあるまい。幹とか根は、歴史的な視点を単純化することによってみえてくるのではなからうか。
とくに、日本に関心をもつ外国人や若い世代にも、風流とは何かを理解してもらふには、まづはそのやうな説明があってしかるべきだらう、とそこで話した。
そして、そこには、代々をさかのぼっての「祈り」が潜在する。「とくに、風流の主流をなすのは、念仏唄で「あり念仏踊である。空也がはじめた、といふ説もあるが、文献や絵巻物から明らかなのは、時宗を興した一遍上人が開祖である。13世紀後半のこと。一遍は37歳から51歳まで、薩摩から陸奥まで各地を遊行した一所・不定の捨聖であった。その行く先々で、とくに行き倒れた人びとの不幸な霊魂を弔ふ念仏を唱えた。そして、さまざまな御霊の鎮魂のために唄ひ踊った。それに多くの僧が従った。
風流に限らず民俗芸能の多くは、時と所に応じた祈りをもって演じ、伝へてきたのだ。近世以降は、歌舞伎の影響を受けて華やいでもくる。が、それも、祈りを忘れて、にぎにぎしく演じるものであってはならないだらう。
じつは、この伝承がむつかしい。民俗芸能は、信仰行事と区別すべきもの、と考へるむきもある。政教分離と同様に、戦後の文化行政や学校教育のなかで主流化もした。それが、先祖代々の正統な伝承をさまたげるひとつの問題なのだ。と、口元まで出かかったが、その席では言えなかった。
風流も神楽も、そもそもは民間での「信仰芸能」といふべきものなのだ。そのことをどう伝えていくか、皆で考えなくてはならない時代である、とそこでも実感した。」