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【神社新報コラム】杜に想ふ~市の虎は真実を食ふ~

投稿日:2022年3月21日(月)


今日は「春分の日」。昼と夜の時間が同じになる日です。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされています。

また、宮中に於ては「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)」が執り行われます。一般では彼岸の中日ですので、お墓参りに行かれる方も多い事かと存じます。祝祭日には国旗を掲げてお祝いしましょう!…権禰宜の遠藤です。

国旗

さて、神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和4年1月24日号掲載のコラム「杜に想ふ~市の虎は真実を食ふ~」をご紹介致します。

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杜に想ふ

【杜に想ふ~市の虎は真実を食ふ~】

「『戦国策』に曰く、魏の臣龐葱(ほうそう)は、敵国の趙へ魏の太子とともに人質となりに行く際、王に問うた。「もし今、市場に虎が現れたと一人の者が申せば王はお信じになるか」と。王は「否」と頭を振った。 葱は次に「二人の者が申したら如何」と尋ねた。「もしやと疑はう」とは王。するとさらに 葱が「では三人なら」と重ねると、つひに王は「信じるであらう」と返した。そこで 葱は続けた。「市に虎のあるはずもないことは明らかにも拘らず、斯様に三人して云へば虎が出ます。魏を去ること趙の都は市場より遙かに遠く、また私をとかく評する者は三人に収まりますまい。王にはどうかこれをお察しを」と。
人質となった自分達が敵に取り込まれたと謗られることを彼は恐れたのだらうか。この故事から、事実無根の風説でも大勢が云へば信じられるやうになることを「市に虎あり」や「三人虎を成す」などと云ふ。虎にちなむこの年の初めに相応しい成語だ。
情報社会の現代では、マスメディアだけでなくオンラインネットワーク上もさまざまな言辞で溢れてゐる。そこでは火のない所にも煙が立ち、真実を喰らふ市の虎が跋扈する。そのさまは歴史学とも無縁でない。歴史学の歴史は、訛偽との戦ひの繰り返しだった。
文献からの情報で成り立つ歴史研究では、史料が偽だったり、先行研究が誤報の発信源だったりして惑はされることもしばしばだ。例へば、今年注目の鎌倉殿こと将軍源頼朝は「後白河院の寵臣藤原信頼を烏帽子親として元服」(『平安時代史事典』)したなどとも云はれたが、管見の限りではその典拠となる史資料は見当たらない。これは、永原慶二著『源頼朝』が状況から推定した部分を断定調にしてしまったものだらう。
偽書や偽文書も厄介だ。東日流外三郡誌やホツマツタヱなどは有名だが、義経が頼朝に心情を訴へる「腰越状」や、清和源氏が実は陽成源氏かと示唆した「源頼信告文」など、学界における議論は尽きない。ただ、近年は史料批判による真贋論を超え、偽文書自体が積極的に研究対象とされるやうにもなった。久野俊彦・時枝務編『偽文書学入門』はその嚆矢だらう。また馬部隆弘著『椿井文書』は、椿井文書が「三人虎を成す」のとほり、複数の偽文書によって情報を補ひあふことで信憑性を生み、神社の由緒・縁起にも影響を及ぼして、それが今の町おこしにまで繋がってゐることを論じてゐる。
虚実の入り乱れる現代社会は、嘘の影響も軽視できなくなってゐる。かう云ふと「私は嘘は嘘であると見抜ける」と思ひがちだが、さう簡単なことだらうか。そこで最後に件の魏王の顛末を見て、本稿の結びとしたい。
王は 葱の奏上に「自ら智慧を働かさう」と応じた。しかし彼らの到着より先に讒言は王に届いた。後に太子は人質を解かれるが、果たして王へは目通り叶はなかったといふ。
(ライター・史学徒)


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