投稿日:2018年7月31日(火)
台風が過ぎ去ってうだるような暑さは一休み。引き続き熱中症などには気をつけましょう!権禰宜の佐藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成30年1月1日号掲載のコラム「神宮だより」をご紹介致します。
【神宮だより】~神宮の倭舞(やまとまい)~
「新玉の年の初めを寿ぎ神宮の神楽殿では午前零時から新年初神楽が奏される。現在、御祈禱の御神楽では倭舞が奏でられ、日常は内宮では舞女の四人舞、外宮では二人舞である。内宮での新年最初の初神楽では特別に六人舞となる。
明治4年に神宮制度の改革がおこなはれ、御師の館で執りおこなはれてゐた神楽祈禱が廃止となり、内宮神域内に祈禱所を設置する運びとなる。この舞は6年2月1日に初めて祈禱所で御神楽を奉奏する時に作られた もので、鎌倉時代の『皇太神宮年中行事』に記載のある神主舞の歌に作曲を加へ、少女舞に改作した神宮独自のものである。「みやびとの させる榊をわれさして よろづよまでに 奏で遊ばん」といふ歌に合はせて雅楽が奏でられる。
読んで字の如く、元々は大和地方の風俗歌舞と考へられ、『古今和歌集』の「古きやまと舞のうた」の歌詞には「しもと結ふ 葛城山に降る雪の 間なく時なく 思ほゆる かな」と記される。
平安時代に編纂された歴史書で六国史の一つ『日本三代実録』巻三に、清和天皇の大嘗祭の記録が見られる。貞観元年(859)11月16日から昼夜を問はずさまざまな儀式が宮中にて 執りおこなはれてゐるが、19日の日中には百官が揃ひ宴を催 してゐる。その中で多治氏が田舞を奏で、伴・佐伯両氏が久米舞(くめまい)、安倍氏が吉志舞(きし)、内舎人が 倭舞、宮人が五節舞(ごせちまい)を舞った記 述が見られる。吉志舞以外は今も宮内庁楽師によりこれらの歌舞が伝へられてゐる。その内の倭舞は四人の男子が青摺衣(あをずりのころも)に 榊を持ち、「宮人の 腰にさしたる 榊葉をわれとり持ちて 万世や経む」といふ歌詞に合は せて舞ふ。鎌倉時代の神主舞であった神宮の倭舞と同じなのかは不明であるが、男性の舞であ ったことは共通してゐる。
時代や地域により中断や変遷があったが、雅やかな歌舞は神宮にも伝承され、大御神に捧げる御神楽として参拝の方々より日々奉納されてゐる。」