投稿日:2018年12月8日(土)
巷には、「平成最後の」といった言葉にあふれていますが、大半は御代替りとは全く関係のない事柄です。しかし、先月行われた新嘗祭、そして今月23日の天長節(天皇誕生日)は、まぎれもなく「平成最後」。祝祭日には国旗を掲げてお祝いしましょう!権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成30年6月25日号掲載のコラム「神宮だより」をご紹介致します。
【神宮だより】~神宮の手水鉢~
「伊勢の神宮では古くから川で手水をおこなってゐました。今でも内宮には五十鈴川の御手洗場があり、多くの参拝者が心身を清めてゐます。内宮では手水をする場所としてもう二カ所、第一鳥居手前 と帰りの参道の火除橋付近に手水舎があります。現在の手水舎は昭和三年(1928)に設置されたもので、神宮の悠久の歴史の中では新しい施設と言えます。内宮の参道には他にも神楽殿の竜虎石といはれる名石を使ったものと、大山祇神社・子安神社の処にある梅の形に彫られた石を使った二個の手水鉢があります。
外宮では、寛永17年(1640)に山田奉行により正宮南側にある御池の石畳改修をして御手洗場を整備した記録が見られます。改修といふことは、それ以前もそこで手水をしてゐたはずです。
延宝4年(1676)には当時の山田奉行・桑山貞政により手水鉢の石が寄進され、現在三ツ石がある付近に手水鉢(手水所)が設けられました。御池は宝永4年(1707)の大地震により現在のやうな形になっ たと伝はりますが、古くは藤岡山を水源とする流れがありました。時代は下り大正4年(1915)、勾玉池畔に現在の手水舎を新設し、江戸時代の御陰参りをはじめとする大勢の参宮者に親しまれた御池畔の手水鉢は、北御門参道口の手水舎で使はれることになりま した。
神宮での手水舎の歴史を見ると 内宮より外宮が早いことが解りますが、川の流れにより罪穢が洗ひ流され、海で浄化されるといふことから考えると、流れの弱い御池での手水では不味からうといふ山田奉行の配慮があったのかもしれません。
五十鈴川の清き流れは広大な海へと繋がり、昔ながらの参宮の風習を今に伝えてゐます。」(広報室・矢野高陽)