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伊勢神宮崇敬会 発行【みもすそ】特集 豊受大御神のふるさと

投稿日:2018年1月21日(日)


今日1月21日(日)は、「ライバルが手を結ぶ日」との事。慶応2(1866)年のこの日、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結んだ日だそうです。大河ドラマも『西郷どん』で、タイムリーなのでご紹介してみました…権禰宜の遠藤です。

さて、伊勢神宮崇敬会発行の『みもすそ』より、特集記事「豊受大御神のふるさと」を御紹介致します。

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みもすそ 豊受大御神のふるさと

神宮の歴史は今から約二千年前、垂仁 天皇の皇女・倭姫命が、伊勢を天照大御神の永遠の御鎮座地と定められたことから始まります。

外宮の鎮座地は、その五百年後。神宮で編纂された「止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)」(804年)によると、第二十一代雄略天皇の夢に天照大御神がご出現になり、次のよ うにお告げされたと伝えられます。

「高天原から見渡して、求めたところに鎮座した。しかし、私が一所にのみ居る とはなはだ苦しい。そればかりか食事も ままならない状態なので、我が御饌都神(みけつかみ)として、丹波の国の比治(ひじ)の真名井(まない)にいる等由気大神(とゆけのおおかみ)を近くに呼んでほしい」

目覚められた天皇は、丹波国から等由気大神をお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められまし た。御饌とは神様にお供えされる食事のこと。等由気大神は豊受大御神の古い呼 び名と考えられ、これが外宮にしかない「御饌殿(みけでん)」の創設や、千五百年続く「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」につながっています。

みもすそ 特集

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【両大御神をおまつりした元伊勢】
京都府北部の丹後半島へは、伊勢から高速道路で約三時間半。宮津湾と阿蘇海を隔てる天橋立は、松島(宮城県)、宮島(広島県)と並ぶ日本三景のひとつで、天界の伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が地上にまつられて伊射奈美命(い ざなみのみこと)に会うために懸けたハシゴが倒れたものという伝説があります。

この天橋立の北側に「元伊勢」「丹後国 」として名高い籠(この)神社があります。
籠神社は、神話の時代から奥宮・真名井(まない)神社(古称は吉佐宮(よさのみや))に豊受大御神をおまつりしてきましたが、大御神が伊勢へお遷りになられた後の養老三年(71
9)に現在地へ遷り社名を改め、主祭神として彦火明命(ひこほあかりのみこと)をおまつりするようにな りました。彦火明命は邇邇芸命(ににぎのみこと)の兄神に あたり、天祖より「息津鏡(おきつかがみ)」「邊津鏡(へつかがみ)」の二つの伝世鏡(でんせいきょう)を賜り降臨され、丹後・丹波地方を開拓し、豊受大御神をおまつりした天孫です。

「記紀にはありませんが『倭姫命世記』には、豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)の案内により宮中をお出になられた天照大御神が大和の笠縫邑(かさぬいのむら)の次に丹波へいらしてご滞留されたと記 れています。元伊勢とよばれる古社は他にもありますが、両大御神を一緒におまつりした記録が残るのは当社のみ」

やがて第八十三代宮司を継がれる海部穀成(あまべよしなり)禰宜が由緒を語ってくださいました。籠神社の宮司は、原初より彦火明命の血脈一系で奉仕されており、海部家は大化の改新以前は丹後や若狭の海人族を統率し、中国とも交易を行う有力豪族だ ったそうです。

神社には、その歴史を伝える宝物がた くさん所蔵されており、彦火明命から連なる直系子孫の名が記された「海部氏系図」は、日本最古の系図として国宝に。また、昭和六十二年に初めて公開された二つの伝世鏡は約二千年前の中国で作ら れたものとされ、歴史ファンのロマンを 大いにかきたてました。

【外宮御饌殿と同じ背面扉】
海部禰宜のおはからいにより、本殿の特別拝観をさせていただきました。

神宮をほうふつさせる神明造。桧皮葺の切妻屋根に載る鰹木は十本で、千木も内宮と同じ内削ぎ(水平)。高欄に飾られた据玉も五色(青·黃·赤:自·黒)で、これは神社建築史上、神宮と籠神社にしか見られない特徴だそうです。

「創建以来三十年に一度の遷宮制度が守 られていましたが、南北朝時代以降は 折々の修繕に変わり、現在の本殿は弘化二年(1845)建造と伝わります。昭和の遷宮まで屋根は萱葺でしたが、資材の調達が難しく断念しました。おかげ参りブームの江戸期には、伊勢からきた御師が広めた伊勢信仰の影響で神明造に建て替わる神社もあったそうですが、当社はそれ以前(鎌倉期)から神明造であっ たことが旧跡調査から分かっています」

裏へまわると、本殿背面に御扉が設けられているものの、人が出入りできるような階段は見当たりません。「古代の人々は、神様は磐座から本殿へ 出入りされるとき、背面の扉をお使いになると考えていたようです。神宮の御正殿にはこうした背面扉はありませんが、 外宮の御饌殿にはありますよね」

海部禰宜は、この扉は太古の磐座祭祀 を伝えているのではと考えています。

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【上御井神社(かみのみいのじんじゃ)の起源 】

真名井神社(奥宮)は、籠神社から五百メートル程離れた山中に鎮まります。

境内に入ってすぐの左手には「天の真名井の水」が。海部家三代目の天村雲命(あめのむらくものみこと)が 天上界から地上に持ち降り、初め日向の高千穂宮の井戸に、その後ここへ遷したと伝わる御霊水で、倭姫命が外宮の上御井神社の井戸へ遷されたと伝わります。

「真名井神社の古称『吉佐宮』のよさ、とは、ひょうたんの褒め言葉をかつては「天のよさづら」と呼んだことから。吉佐宮では天の真名井の水をひょうたんに入れて神祭りをしていたので、それが社名になったと言われています」

霊験あらたかと御霊水を汲みに来られる方が多いため、神社では汲み場を新たに設置されたそうです。社殿は現在修繕中のため、白い覆いが掛けられています (平成三十年秋まで)が参拝は可能で、社頭に下げられた鈴が豊受大御神のより しろである磐座につながっており、参拝者との心の懸け橋になっています。

参拝の後ケーブルカーで天橋立を望む傘松公園へ登りました。展望台からは、白砂青松の天橋立が籠神社への参道さながらに続いています。一画には、籠神社の主祭神が天降った島として古代から神聖視されてきた冠島・沓島の遥拝所も。

はるか昔、籠神社の神様は、豊受大御神より五穀や養蚕のタネをいただきました。秋になると立派な稲穂が実り、その光景を見られた大御神が『あなにえし、おも植えみし、田庭(立派に実った良い庭)』と喜ばれたことから、丹波はかつて『たにわの国』と呼ばれていたと当地の風土記には記されています。

豊受大御神が丹波から伊勢へお遷りされて以来、外宮では千五百年余欠かさず日別朝夕大御饌祭が営まれています。


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。