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神社新報コラム 【刀剣は語る その~その参拾肆~】

投稿日:2023年5月10日(水)


今日は朝から地鎮祭の御奉仕にお伺いしましたが天気も申し分なく良いお祭りになったように思います、権禰宜の牧野です。

さて、本日は神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和5年4月24日号掲載のコラム【刀剣は語る~その参拾肆~】ご紹介致します。

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【刀剣は語る~その参拾肆~】

久能山の「ソハヤノツルキ」

「徳川家康公の愛用刀といへば、真っ先に思ひつくのが、静岡は駿府久能山に伝はる「ソハヤノツルキ」ではないでせうか。 太刀の茎の表に「妙純傳持 ソハヤノツルキ」、その裏に「ウツスナリ」と銘が切られた一振り。大坂夏の陣で豊臣氏を滅亡させた翌年、臨終の際に家康公が、この太刀の切先を西に向けて枕元に置くやう遺言したと伝はります。家康公の逸話をまとふ太刀は、ひりひりとした時代の緊張感を漂はせてゐます。静岡市駿河区の久能山東照宮は、家康公の「遺体は駿河国の久能山に」といふ遺言に従ひ、亡くなったその夜に遺体を久能山へ移し、そして二代将軍秀忠公の命により異例な速さで社殿が造営されます。駿河湾に面した久能山は古くからの聖地。そこに御祭神として家康公は祀られたのです。「ソハヤノツルキ」の太刀は、その儀式の演出に一役買ったと考へられてゐるのです。この「ソハヤノツルキ」として知られる太刀、じつは「無銘 光世作」とされてゐます。鎌倉時代作の重要文化財で、博物館でもこの名で展示されてゐます。刀工の光世は、筑後国(福岡県)の三池を拠点に平安時代末から室町時代中期まで活躍した三池派です。その豪壮な印象は身幅が最も広いところで三・九センチと四センチ近くある幅広のところから。しかし、重さ約六百七十グラムと見た目以上に軽いのは、元重ね(厚み)は七ミリと薄い上に、刀身は深い樋と添へ樋が二重に切られてゐるからです。とくに深い樋は三池派の特徴の一つで、叩いて作ってゐる可能性があるほど、深いもの。これが軽量化につながり、身幅が広いにも拘らず軽いといふ実用に適してゐる鎌倉中期の特徴を示してます。この太刀に「妙純傳持 ソハヤノツルキ」「ウツスナリ」といふ切り付け銘が切られたのは、製作時ではなく、のちの時代の室町時代に僧侶がおこなったとも伝はってゐます。「妙純傳持」の文字が仏教との関はりを思はせます。「ソハヤノツルキ」は、平安時代の武将で、蝦夷討伐をおこなった坂上田村麻呂が所有してゐたともいはれてゐる太刀です。なぜ、その写しと切ったのか、家康公がどのやうにしてこの太刀を手に入にれたのかも詳しくわかってをらず、謎が多い太刀でもあります。「無銘 光世作」は、神社で御神体と同様に重く扱はれ、本殿の内陣に長らく納められてゐました。この刀の力により、徳川の世が二百六十余年続いたともいはれます。逸話をまとふ太刀は、今も、西の方を家康公とともに睨み続けてゐるやうに思ひました。   千種 清美」

 

写真提供・久能山東照宮博物館

久能山東照宮
祭神=徳川家康公
| 鎮座地=静岡県静岡市駿河区根古屋390
054-237-2438
博物館
拝観時間=午前9時~午後5時(最終入場は4時45分まで)

 


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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