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冊子「みんなの神さま」

投稿日:2014年10月9日(木)


コーヒーがアイスからホットに…そんなところに季節の移ろいを感じる、権禰宜の遠藤です。

さて、昨日、神奈川県神社庁より「みんなの神様 海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)」が送られてきました。この冊子は神社庁が「子供に神話に親しんでもらう」という趣旨で作られています。以前、当社ブログで「ヤマタノオロチ」・「いなばのしろうさぎ」・「あまのいわと」の神話をご紹介をしましたが、今回は「海幸彦と山幸彦」をご紹介致します。
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神話の時代、天照大御神(あまてらすおおみかみ)のご子孫に、火照命(ほでりのみこと)と火遠理命(ほおりのみこと)というご兄弟がいらっしゃいました。お兄さんの火照命は釣りの名人で「海幸彦(うみさちひこ)」、弟の火遠理命は狩りの名人で「山幸彦(やまさちひこ)」と呼ばれていました。
日々狩りをして暮らしていた山幸彦でしたが、どうしても海で釣りをしてみたくなり、兄の海幸彦に「たまには釣りと狩りを交代しませんか」と申し出ました。
海幸彦は乗り気ではありませんでしたが、山幸彦がなかなかあきらめないので、しぶしぶ道具を交換しました。
そして翌朝、海幸彦は弓矢を手に山へ、山幸彦は釣竿を手に海へ向かいました。
よろこんで釣りを始めた山幸彦でしたが、ちっとも魚が釣れません。そして夕刻、やっと魚がかかったと思ったら、糸を切られて逃げられてしまいました。
山幸彦は、大切な釣り針を失くしてしまったことを海幸彦に詫び、自らの剣を砕いて作ったたくさんの釣り針を差し出しましたが、海幸彦は承服せず、なんとしても自分の釣り針を取り戻してくるように山幸彦に命じました。
山幸彦が浜辺で途方に暮れていると、鹽椎神(しおつちのかみ)という潮の流れを司る神さまが声をかけました。
山幸彦から経緯を聞いた鹽椎命さまは、竹を編んで船を造り、「海を治める綿津見神(わだつみのかみ)さまに釣り針のことを相談してみなさい。この船で潮の流れに乗ると、やがて綿津見神さまの宮殿に着くので、門の前の大きなカエデの木の上で待ちなさい」と助言をして山幸彦を海に送り出しました。
幾日か、波に揺られていると、綿津見神の宮殿に到着し、山幸彦は鹽椎神の助言のとおりにカエデの木の上に登っていました。
しばらくすると、カエデの木の下にある井戸のところへ宮殿の召使いらしき女性が現れ、水を汲むために井戸を覗き込んだとき、水面に山幸彦の姿が映りました。宮殿へ駆け込んだ召使いの報せを聞いた、綿津見神の娘の豊玉姫が井戸のところへ来ると、山幸彦と目が合い、お互いに好意を抱きました。山幸彦が綿津見神のところへ案内されると、綿津見神は山幸彦が天照大神の子孫であることを見抜き、大いに歓迎し豊玉姫と娶(めあ)わせました。そうして3年が過ぎた頃、山幸彦は綿津見神のもとへ来た目的を思い出し、綿津見神に兄の釣り針を探している旨を告げると、綿津見神は海中の魚たちを呼び集め、釣り針を見つけてくれました。そして、「私の言う通りにすれば、あなたは富み栄えお兄さんは貧窮に陥るだろう。もしそのことを恨み攻めてきたならば、この塩盈珠(しほみつたま)・塩乾珠(しほふるたま)を使いなさい」と二つの珠と富み栄える方法を授けてくれました。
その後、地上に戻った山幸彦は釣り針を海幸彦に返しましたが、海幸彦は釣りをしても魚はかからず、田を作っても不作が続きました。
一方山幸彦は綿津見神のいう通りにしたため、栄えていきました。
この事を恨みに思った海幸彦は、山幸彦を攻めましたが、山幸彦は塩盈珠を使って兄を溺れさせ、海幸彦が降参するとすぐに塩乾珠で助け出しました。山幸彦は兄を許し、仲直りをしました。
山幸彦と豊玉姫の孫にあたるのが、後の神武天皇となられる神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)です。
裏表紙
以上が海幸彦と山幸彦の神話の概要です。他にも国生みや黄泉の国の神話の冊子もあるそうですので、ご興味のある方は神奈川県神社庁までお問い合わせください。


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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